就活と採活と生活

採用広報・広告を創る立場から就活のあれこれを書いてます。

社員メッセージの真実

あるメーカーの採用ホームページ制作でこんなことがあった。
それは、20名ほどの社員を掲載するためインタビューし、そのライターがまとめた社員メッセージ。(残念ながらほとんどの採用ホームページに掲載されている社員メッセージはライターが取材してライティングしたものか、本人が書いた原稿を人事担当者やライターの手によってリライトまたは、加筆・修正したものです。念のため。)
最初は生のword原稿などで本人や先方の担当者にチェックしてもらいます。やはり数箇所で修正が入りました。ほぼ指示どおり書き直していきましたが、再度見せるとまた修正、その修正したものにさらに修正を加えられていきました。その結果20名の社員コメントは落度がなく素晴らしく優秀なメッセージになりました。(こんな完璧な人ばかりの会社なんだ!)。やはり「社員メッセージ」を掲載する以上、あまりにも必要以上に編集すると本人を紹介する意味がなくなってしまいます。特に失敗で凹んだこと、もう辞めようと思ったこと、誰にも相談できなかったことなど、採用ブランドを構築する上で障害(必ずしもマイナスに働くとはいえない)となるネガティブなことは大概チェックが入ります。
そこで、私は再度全員のコメントを読み直したところ、企業のいいたいことを代弁はしているもののパーソナリティをまったく感じさせない。「意図的に作られたメッセージ」という印象が拭いきれませんでした。「これはあまりにも不自然です。お気持ちはわかりますが、ここは学生の視点からみても自然に受け取れる本人のメッセージに極力戻しましょう」と提案したところ、その企業の担当者は「しっかり直したつもりだったのですが、そこに気がつきませんでした。わかりました。」ということになりました。
今回のことは、このブログでも前に「採用ホームページの見方」で少し触れたのですが、よくある社員メッセージというのは、100%本人の言葉ではないことを知っておいてほしいと思いました。でも誤解しないでほしいのは、これを批判しているのではありません。本人の原稿のまま掲載するというのは、逆にそれを読んでいただく学生に対して失礼にあたる時がある。誤字脱字がないか、文法的に的確か、また本人が仕事上で誤解してしまっていることもありますので、ノーチェックで掲載することはできないのです。私がいいたいことは、失敗もするし落ち込む時もあるのが人間です。そういう時と共に移り変わる人間を通じたメッセージとして誠実に書かれているか、が問題だということです。
“そんな本人の喜怒哀楽まで伝える必要はない。会社でやらなければならないことを社員メッセージを通じて伝えられればいいんだ”という企業もあるかもしれない。でも、その時の感情や経緯がわかることで共感できる(勿論できなかったりすることも)のではないでしょうか。そこにこそ社員という一人の人間を通じてコトを伝える意味があると思う。でないと、同じ人として共感できないと思いませんか?だってあのイチローでも何度もスランプに陥ることがあるのですから。イチローがすごいと思うのは単に天才だからではなく、如何にスランプに陥らないように努力しているかということと、スランプになっても必ず克服するその姿に憧れや賞賛を受けるのではないでしょうか。

誰でも(得意先も)見ることができるオープンの採用ホームページでは、あまりネガティブなことは書かないものです。ならば、クローズであるマイページなどでそういうことをきちんと書いている企業なら内容はともかくスタンスとしては信頼できるでしょう。