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就活と採活と生活

採用広報・広告を創る立場から就活のあれこれを書いてます。

敬語は大切ですか

先日、Twitterである学生から「なぜ敬語が大切と思うのか」という質問をいただきましたので、この場を借りて私の考え方を書いてみようと思う。
正直、敬語の大切さというのは考えたことがなかったので「あれっ」という感じでした。よく「世の中の常識を疑え」とはいいますが、会社や社会で敬語の必要性については、あまり深く考えたことはありませんね。
子供の頃は、敬語を使うことで「私はあなたに敬意を払っていますよ」という自分のスタンス(弟子みたいな)を相手に察してもらうためだろうな、と考えていたと思います。そして、それは基本的にいまも同じです。


普通は大人社会のルールだから守らなきゃと思うだけのことでしょう。私の場合は小学校の頃から、学校に行きながら仕事(というか、今でいうバイト)をしていました。まだ子供なので、そこで働く大人の先輩方には敬語で接していたと記憶しています。でも決して正しい敬語ではなかったと思いますが、教えを請う者が友人などと同じような言葉遣いをすると、ちゃんと教えてもらえないし、生意気なガキと見なされる。また躾がなってないと思われ、親にも迷惑をかけるかもしれないと思っていました。
だから、私が「なぜ敬語が大切と思うのか」、という質問に対する回答は、「敬う気持ちを言葉に乗せることであり、その関係をベースとしたより良いコミュニケーションを図るため」です。人は感情の生き物です。理性だけでは生きていけませんよね。例えば自分よりいくつも年下の後輩がタメ口で「おまえだって、あの時やってたじゃん!」と言われると自然と右手が上がりませんか。暴力を振るわないでも、気分のいいものではないはずで、実は単純に言えばこういうことです。


「いえ、私は(僕は)そういわれても、そんなにムカつきませんが」という仏様のような人もいるかもしれません。
先ほど社会のルールと言いました。ルールというのは規則です。規則といえば、会社に入ると就業規則というものがあります。大学にも大学規則があるのですが、就業規則というのは自分の身に直接関わることなので、見過ごすことはできません。例えば、「労働時間は、午前9時から午後5時までで、3回以上15分以上の無断遅刻は1日欠勤扱いとして、その月の月給の1日分を差し引く」というように、きっちりと決められています。遅刻のルールを守らないと減給されるのです。特に大企業の就業規則は厳しいです。なぜかといえば、社員数が多いので、モラルひとつとってみても社会で問題を起こすとその社員の勤務先=会社の評価に悪影響を与えるからです。だから松下幸之助氏は、「松下電器(現Panasonic)は何を作っているのですか」と尋ねられたら『人を作っているところだと答え、しかる後に、電器製品も作っております』と答えて頂きたいと言われたのは、あまりにも有名です。


少し脱線しましたね。話を敬語に戻しますが、就業規則に「社員は敬語を使わない者は解雇する」とは書いていません。では、敬語を使うかどうかは、本人に委ねられているのか?といえば「Yes」としかいいようがありません。「私は尊敬に値する上司なら喜んで敬語を使いますが、単に学閥とかゴマすりで部長になって、自分は何もしないで部下を叱ってばかりいるオヤジに敬語なんて使う必要性を感じない」。「その部長が敬えるようになれば考えてもいい」という意見もあるかもしれません。これは、正論か?実は、そう思いながらも敬語を使っている人は多いのですが、企業内で、あえて偏屈に見られるリスクを犯してまで敬語を使わないことが、自分にとってどれだけの利益があるのかを考えると、その選択はないという結論になっていると思います。


では、なぜ、そういう行為が社会や会社で認められないのでしょうか。
これは、私の意見ですが、こういう考え方は、市民権を得られていないものだから、「自分本位」だと見なされるからです。大人社会で「そういうのもアリよ!」という許しを得ていないものを「そのまま持ち込む」と、あなたの背中には「ルールを守れない人」という太鼓判をもれなくプレゼントしてもらえます。そして背中の太鼓判は、社内の他の人にもわかるので、他の人も「あの人はルールを守らない人」だという人物評価が広がります。また、周りの人から見ても目下の者が目上の人に向かってフランクな話し方をしているのを見るのは、気分のいいものではありません。その場の空気も乱れるものです。


「認められない理由」になっていない?
そうですか。
社会のルールといっても罰則のあるものや、ないものがあります。「人間はもともと裸だ。私は全裸で表参道を歩きます。これ、私流〜」というのは、すぐに警察か精神病院に連れて行かれます。「電車は乗るほうが優先で何が悪い。俺は疲れてるんだ」というのは、別に罰せられません。でも電車では「降りる人が先」というルールがあります。なぜ降りる人が先なのかといえば、満員電車で乗る人が先だった場合を想像してみればすぐにわかると思います。なんとなく、理由がよくわからないようなルールやエチケットなどが、社会にはいっぱいありますが、すべて意味があってのことで、ルールやエチケットを決めて皆が守る方が、何も決めず好き放題にするよりも、世の中がスムーズにいくということを経験から学んだからです。
中国経済は大発展しました。上海万博をみてもわかりますが、そういうルールはすぐに国民に定着しません。一人の行動を見たり経験したりして初めて「あっ、これならぶつからないでいいな」と思うようになり、ルールの大切さを実感するのです。
そういえばインドのデリーに行ったとき、バスの車内で踏み切り待ちをしていました。すると、私たちのバスの後ろにいた人や車や牛!が、左側車線を越えてどんどん踏み切りの前いっぱいに並んでしまいました。踏み切りの前を見ると、反対側も同じで幅いっぱいに詰め掛けています。踏み切りが開いたらどうなるのかと思って見ていましたが、もう我先にという無茶苦茶に入り混じってまともに動けない状態になったことを思い出しました。
エスカレーター立つ位置は左が正しいのか、右かという議論もありますが、あれは別にきちんと決められたルールではなく、ゆる〜いルールになっています。どちらでも別に問題がないからです。


また、脱線しました。
「会社は仕事をするところだから、仕事さえキチンとすれば問題ないのでは」という意見もあるでしょう。でも仕事というのは、一部を除いて、得意先という「カイシャ」に対して行うというよりも、その担当者や担当部署の方に価値を認めてもらうことなんです。
その価値ですが、実は商品価値だけではありません。販売しようとする者の価値も認めてもらえないと、契約に結び付きません。「商品に価値があったので契約したが、実は担当者の態度や言葉遣いが気に障る。次回は担当者を変えてくれ」というようなことは、よくあることです。

逆に「商品自体は、B社の商品の方がいいかも知れないと考えていたが、今度の担当者が弊社のことをよく理解してくれていて、性格もいいので将来性を見込んで契約した」というような話はいくらでもあります。
そのように、人間社会で生きていくためには、人と接することが避けられません。教授の部屋を訪問するとき、電車に乗るとき、美術館で名画を鑑賞するとき、高級レストランでディナーをするときなど、そのシーンによってルールがあります。守らない人がいると、本人はいいかもしれませんが、まわりの人に迷惑をかけることになります。
ものの言い方によって「無礼者!」と切り捨てられた時代はともかく、現代の敬語は相手が要求するものではなく、自らが敬意を示す所作のようなもので、それをしたから何かその報酬を求めるものではありません。むしろ、敬意を払う自分自身が気持ちよいものです。そして結局、それは、「あなたの為だから」。

○×為オンラインとかのCMで、「あなたの為だから」といわれる彼女の表情が面白くていいですよね。(ってどうでもいいことでした。)
敬語の大切さって、説明するのは大変難しいですね。前に「人は動物を殺して食べているのに、なぜ人を殺してはいけないのですか」という質問に、集まった人のなかで誰もキチンと答えられなかったという話があります。あなたは答えられますか?
今回はこの問題よりは、説明しやすいかもしれません。

質問をいただいた学生に納得していただけたかどうか疑問ですが、世の中経験しないとわからないことはいっぱいあります。最後に、社会に出ると言葉は完全な意思表示であり行動と同じです。一度言ったことは取り消せません。

だから言葉遣いは大切なんですよ。