就活と採活と生活

採用広報・広告を創る立場から就活のあれこれを書いてます。

非公開求人という採用

世の中には採用をする際に一般的な選考フローではなく、採用効率を追及した「非公開求人」というものが存在する。これは「自社で募集広告を出し、母集団をつくり、テストをして面接も数回して採用したけど、結局人材にならないような人を採用してしまった」という悲劇を防ぐためである。私はどうもこういう採用スタイルを賞賛する気持ちになれない人間である。なぜならば、採用する企業が「採用活動」をしないからである。就職したい学生が就活しないのと同じである。お腹が減ったけど食べる時間が勿体ないし、変に食中毒になるのも困る。でも栄養はちゃんと考えて摂りたいので、すべて計算された一錠のカプセルを飲む行為と同じです。食べる=咀嚼という行為は消化をよくするだけではありません。顔面をつくる骨や筋肉の発達をはじめ、発音への影響や、咬み合わせがしっかりして踏ん張りが効くようにもなります。またリズミカルな刺激が脳に伝わりリラクゼーションやストレス軽減、注意力も高まり覚醒水準が上昇するといわれています。採用活動も同じだと思う。人材を採りたいなら人材に選ばれる企業になる必要がある。選ばれる企業になるには採用活動という「咀嚼活動」が必要です。注文して用意されたものを飲み込むというのは、人と人との関係上、よくないと思う。味も歯ごたえもノド越しもわからない。いきなり胃に放り込むようなものである。栄養士が作成したスペック通りのサプリメントを飲んだけど、狙ったような効果が出ないということは、よくあることです。人は生ものだからです。
また、また採用するということは、求職者に自分の就職先として認められることである。私はそのための努力はするべきだと考えます。しかもクローズではなくオープンに。
求職者も採用する企業も同じことがいえると思いますが、面倒臭くて効率の悪い「活動」を省略するということは、「失敗しないようなマッチング」で代用するということになります。私はこういう体を使って動かないで、アタマだけで考えてやるということがどんどん増えていることに危機感を持っています。失敗はしても自分でやったことはすべて無駄にはならない。すべての体験は栄養になるはずです。

こういうロジックって無理があると思いますか?効率を高めることが経営の要諦だとすれば、非公開であってもかなり高い確率で求める人物に出会えることがなぜ悪いのかと。また早期退職されても人材紹介業者に支払う費用は戻ってくるからリスクヘッジも考えられたいいシステムだと言われるかもしれません。
しかし、それはモノの場合はいいけど、人には当てはまらないのではないでしょうか。
お見合いは、世話好きな叔母様とかが「この写真の人、素晴らしいのよぉ」とか言ってセッティングし、結婚を前提としたおつきあいという条件の下で両者が納得してお会いします。しかし恋愛は、お互いが相手のことを好きになったのでもっとお互いを知りたい・確かめたいという理由からお付き合いを始めます。この両者の違いは非常に大きいと思います。「出会い」の機会創出から見ると、お見合いは他力本願だけど、恋愛は自力本願だからです。お見合いがダメだと言ってるのではありませんよ。なかなか出会いがない環境の人や、億劫な性格で自分からチャンスをつくれない人にはむしろいい制度だと思っています。しかし、それは恋愛できないからであり、最初からそういう選択があるわけではない。選べるなら誰でも恋愛を選ぶと思う。それが理想的だから。お見合いするのは「出会い活動」ができないから、もしくはしないからであり、恋愛は「出会い活動」をした結果である。まず出会いがあるのではない。いつも営業で来られるあの人の言葉や声や表情が気になっていて、向こうもいつもいく事務所にいる女性の振る舞いや顔や雰囲気が気になっていて、ある日、思い切って告白すると見事!同じ想いをしていた!「ラッキー!」というのが恋愛である。最近は婚活というのがあるそうですが、人生にはいろんな活動があり、そういう活動の連続のなかに喜怒哀楽があるのではないでしょうか。活動は人生そのものだと思う。だから手を抜くと痛い目に遭う。と思う。