就活と採活と生活

採用広報・広告を創る立場から就活のあれこれを書いてます。

自己分析の信者たちへ

就活の第一歩は、まず自己分析から。と就職ナビのホームページを見ると書いてある。
どうして自己分析が必要なのですか?という質問にある就職サイトでは「面接などで自分がどんな人かを説明するために、学生時代を振り返る自己分析が必要になります」と書いてあります。
それならば人事担当者のためにあるのか?と疑いたくなりますが、基本的に自分がどんな人か?というのは自分で判断することではありません。またできることではありません。
以上、終わり。

と言いたいところですが、いまの学生の皆さんは真面目だから、「そうなんだ、自己分析して自分はどんな人間で、どんな長所・短所があり、どんな仕事に向いているのかを考えよう」となってしまうのですね。心情的にはわからないことはないのですが、これは、実は採用側の都合だと思っています。就職ナビは掲載する企業から収入を得ているのですから、企業の味方になる必要があるわけですよね。採用では、人を短い時間で判断して合否を決めなければならないという超人的な能力を求められるわけです。だから、面接する学生自身が「私はこういう人です」と言ってくれると「助かる」のです。
以上、終わり。

もう何度も拙ブログに書いてきましたが、まだ何となく自分探し、自己分析を必死にやってる学生がいるようなのでしつこいようですが、今回は私ではなく、私の敬愛する養老孟司氏も発言されていますので紹介しておきます。

■賢者に聞く「ビジネス教養塾」第二回
「自分」とは、仕事をしながらつくるもの──養老孟司氏に聞く

(中略)
さらに言えば、自分自身が一つの実質として存在しているというのもまた誤解です。これは、近代的自我という西洋の考え方です。よく「自分探し」とか言うでしょ。勘弁してほしいですよ。「私」とか「自分」とか、そんなものはありはしないのです。あると思い込まされているに過ぎない。

あの本でも書きましたが、自分とは「つくる」ものであって、「探す」ものではない。生活したり仕事をしたりしながら「つくる」ものなんです。もし、自分を探し当てられたとしたら、その人は既に死体になっているということですよ(笑)。

だから、必要なのは「自分探し」ではなくて、言うなれば「仕事探し」です。仕事をしていれば自然に「自分」になっていくんだから、「自分とは何か」なんて考えなくていいんですよ。まずは働くことです。政治の第一の役割は、皆が働かなくてはならない状態に社会をうまく構築することです。
(中略)



皆さんは死んでないことを祈りたいです。
また、矢野経済研究所の調査でもそれを裏付ける結果が出ていたので、これも転載する。

■就活未内々定者は「自分探し」でつまづき(矢野経済研究所調査)
2009年7月16日

矢野経済研究所(本社:東京都中野区)と河合塾(本部:名古屋市)は2009年7月15日、就職活動を経験した学生を対象に行った「望まれる就職支援サービス」のアンケート調査の結果を発表した。未内々定者の6割が「自分が何に向いているかみつけられない」と答えるなど、「自分探し」と「企業探し」につまづきを感じていることが分かった。

 未内々定者の「就職活動の悩み・困ったこと」では、「自分が何に向いているのか?何をやりたいのか?が見つけられない」(58.5%)、「自己分析がうまく出来ない」(45.2%)、「自己分析から具体的な企業選びに結び付けられない」(31.1%)などの割合が内々定者より高く、とくに「自分にフィットする企業を見つけられない」(32.3%)は内々定者の約2倍を超えた。

 一方、内々定者が「もっと力を入れておけば良かったこと・対策」は、「自己分析」(46.6%)、「多数の企業を幅広く知る」(42.3%)、「多数の業界・業種を幅広く知る」(39.7%)が挙がった。「適性を踏まえて幅広く業界や企業への情報収集を行い、もっとたくさんの選択肢を考えられれば良かった」という反省とも受け取れるという。
  (中略)


自分探しや自己分析がうまく出来ないのは当たり前です。私でもできません。もう一度書きます。自分を判断するのは自分ではなく他人です。自分で判断できた?としても意味がない。なぜならば自分を自分の脳で判断しているのだから自分以外の視点で見ることができないからです。意味わかりますか?

このデータを見てもまだ自己分析信仰が残ってるのは、就職情報関連企業が就活学生に仕向けたマインドコントロールの仕業だと私は思っている。商売だからどんな情報を与えようが自由ですが、それをまともに受け取ってしまう「何も知らない」学生は被害者になってしまっていることが私としては見逃せない。内定を受け取った学生が「もっと自己分析に力を入れておけば良かった」と思うということは、不満足な内定しか取れなかったからなのか、それともこの内定のために遠回りをしてしまった後悔からなのか、がわからないのですが、いずれにしてもこの時点でまだ自己分析を重要視するのは、それだけ自分の将来に自信が持てないからでしょう。これまでの自分と、就職してからの自分がどう変わってしまうかが予測できないから不安になるわけです。

人間は明日のこと、いやもう1分先のこともわからないのです。どんなスーパーコンピュータを使ってシミュレーションしても人間のこと、いやこの世の中のことなんて絶対わからないのです。大型地震の予知もまだ確実にはできないくらいだから、人間のように毎日変わるものの未来なんてわかるはずがない。自己分析や自分探しの効用として期待されているのは、未来を先取りして安全に生きたいという願いからですよね。そんなことよりも未知なる未来をワクワクと楽しみませんか。未来の自分を信じてあげる。どんなことがあっても受け止める勇気を持って、自分を励ましてあげることのほうが自己分析などより1000倍大切です。