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就活と採活と生活

採用広報・広告を創る立場から就活のあれこれを書いてます。

コミュニケーション能力は武器になるか。

  • 意思疎通はわかること

2011年卒の採用は、確実に質重視の採用になります。(人の質って個人的にはどうしても好きになれない言葉ですが業界では普通に使われています)では質ってなんだ?ということですが、その定義も企業によってバラバラですね。
私自身が考える「質」とは、偏差値やある特定の能力とかではありません。人として常識やマナーがあることは最低条件として、「人の気持ちがわかる人」だと思っています。でもわかるというのは簡単なことではありません。もしあなたが友人の気持ちをわかろうと思ったらどうしますか?ちゃんとその人の意見を聞き、理解することから始まり、その人との交友を深めるにはどうすればいいのか、などと考えますよね。それには、自分はこんなことが得意なので、こんなことに興味があるか聞いてみるとか、どんなことが好きで、どんなことが嫌いなのか、自分と共感できる点はどこにあるのかなど、情報交換して友人とのコミュニケーションを深めますよね。
「あっ、それってコミュニケーション能力ね!」と思われた方。でもこれって「私、ちゃんとお話できま〜す」ということだけではありません。

実は、Communicationという言葉は正確には日本語には変換不可能な単語だと思います。といっても英語圏で生活していないので正確にはいえないのですが、感覚的には、私はこう考えているのだとか、誤解されないように言っておくが、といった相手の立場を考えて話すというよりも自己主張をきちんとすることが大切と考えられているように思えます。日本語で言えば、言葉、情報、やりとり、連絡、共感、つながりなどの総称みたいになると思いますが、その目的としては意思疎通ということができるでしょう。

Wikipedia
意志(いし 独:wollen、英:will)とは、「〜したい」「〜しよう」という形で行為を直接にうながす自発的な願望や思考をいう。

意思の疎通というのは、意味がわかるということだけではなく、アクションを想定した理解ということができます。つまり「何がしたいのか」が「わかる」ということになる。例えば、メーカーから内定をもらっているが、本当は商社に行きたいのでどうすれば商社の内定をゲットできるか悩んでいたというようなことが「わかる」ということでしょう。これは、ビジネスや社会で人と接する限り最低限必要となる「能力」であることは誰も否定しないでしょう。
先ほど、英語圏では自己主張のためというような感想を書きました。日本では、つねに相手の立場に立って考えなさいと言われますが、なぜ相手の立場で考えないといけないのか。それは相手のことを考えることが結局自分のためになるからであり、単に「相手のためだけ」ではないからです。これはビジネスでは基本的なことであり、顧客の立場で考えない企業は、そのうち誰からも相手されなくなります。では、英語圏の人が相手のことを考えないのか、と怒られそうですがそういうことではなく、これは文化や一神教多神教の違いとも関わっており、日本の場合は昔から自分の意思よりも「調和」を重んじ、英語圏の場合は「独創力・個性」を育てる教育がされてきたことが大きいと思います。そこには、コミュニケーションのとり方に差が出てくるのは当然だし、コミュニケーションの役割・目的も違ってくると思います。

  • コンテクストも五感で味わう

私が特に強調したいのは、言葉だけではなく、その言葉の背景や発言されたときの表情の動き、声のトーン、身体の動作、そのときのまわりの環境などのコンテクストも一緒に鍋に入れてグツグツ煮てその内容をよく見て噛んで吟味することが大切だということです。肉だけではなく野菜と一緒に食べると味わいも食感も豊かになるのと同じです。
日本には昔から心と心で通じ合うことができる「能力」ともいえる「以心伝心」という言葉があります。もちろん信頼関係が築かれていることは前提になりますが、それはスピーチだけではなく、コンテクストを読んで意思全体を知覚することともいえるでしょう。

■NHK FILE073:「人類よ声を聴け

先日NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組で、言葉がなく太鼓の打ち方ですべて情報交換をするという西アフリカのモシ族が紹介されていました。文化人類学の先生と爆笑問題の話の中で、「人は言葉よりもそれ以外のもので情報交換していることのほうが多い」という話をされていました。私たちは「おつかれさま」という言葉をよく使いますが、モシ族にはその対象や内容によって使い分ける(打ちわける)ものすごいバリエーションがあるという。私は言葉がすべてではないと思う人間なので、すごく興味をもって見ていました。しかし現代は言葉の世界です。コンピュータにも入力できないような(扱いにくい・ややこしい)言葉以外のものは、排除されていく社会になってきています。今の学生は人と直接話すよりもメールのほうが多いようですが、そこには表情の動きや声のトーンを見たり聞いたりすることはありません。メールで「実は秋に結婚することになったの」と送ってきた彼女に「やった〜!\(*T▽T*)/おめでとう」と送ったら何も返事してこなくなった。なんで?と思っていると、実は彼女はある事情で泣きながらメールを書いていた。なんていうようなことが起こっていた。。。ベタな例で申し訳ないが、表情や声を見逃すと本来の意味を履き違えてしまっていることは意外と多いのではないかと思います。便利な「ツール」なので私も毎日使っていますが、使いながらもそういう不安はつねにあります。
いま「コミュニケーション能力のある人」は採用の絶対要件になりつつあります(たとえ、それが求める人物像に書かれていなくても)。しかし、もともとはこういうことをわざわざ宣言しなくても23年も生きてきた人には「もう大体備わっているはず」のものなのです(もちろんその差はあると思いますが)。でも、そういう当たり前のことができることを面接などで自慢してはいけません。なぜならば、逆にそういうことができないことを証明してしまうことになるからです。
20年以上も採用の仕事をしてきましたが、KY(空気読めない)な人が優良企業から内定ゲットしたという話を聞いたことがありません。

ブログパーツを入れてみました。一番下にあるのは私の本棚で、村上春樹の「1Q84」をやっとこさ買えました。この本棚以外にも村上春樹の本は読んでいますが、とりあえず並べておきました。